2016年3月11日金曜日

5回目の3月11日




こんにちわは^^

どうしても、この日、これからも忘れることはないだろうけど、3月11日のことについてはなにかに書くことを続けている限りずっと書いていくつもりです。
もう5回目なんですね。



わたしはあの日、海外旅行に行っていたので地震を体験していません。
現地でも流れる地震の映像に驚かされたけど、日本は耐震しっかりしてるでしょ?と軽く見ていた旅行中。
まさか津波や原発が東北を襲っていたなんて夢にも思っていませんでした。
帰国してからの成田空港で震えました。空港中のテレビで、原子力発電所爆発と津波のニュースの映像だらけ。

わたしの父の実家が岩手県釜石市ということもあり、東日本大震災は我が家にとって他人事ではありませんでした。
幸い祖父母達も住居も、被害がなく済みました。



あの震災のことが風化されていくのが怖いです。

オリンピックも勿論大切だけど、もっと被災地にお金をまわしてよ。どうして東北の復興にはこんなに時間がかかってこんなにお金をかけてもらえてないんだろう。
スタジアムに何億円もかけるなら、どうして仮設住宅の人たちの新しい住居を建ててあげられないのだろう。

せめて自分の中だけでは絶対忘れないようにしたい、意識していきたい、本当に5年間いつもそう思っていました。
twitterなどでは岩手県の情報を小さなことでも毎日見て、津波警報が出れば釜石に住む祖父母に連絡をとるようにしています。



希望を持っていこう!と心から言えた5年前。
でも復興がまだ全然されていない5年後。
あの頃のように素直に希望を持ちましょうと言えないです。希望を持ってないわけではないのに、希望を持ってるはずなのに。

今でも耳に、携帯電話から鳴る緊急地震速報の音と、ACジャパンのCMの音楽が刷り込みのように残っています。
祖父母を思って毎日どこでもかしこでも泣いてしまっていた日々を思い出します。


人が日常に飲まれ意識が消えていくことは、あの日の風化を意味すると思います。
どうか、あの日のことを忘れずにいてほしいです。
せめて、今これを読んで下さっている方だけでも。





xoxo

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